■横軽対策車両、協調車両■

 横軽を越えるには、車両も峠越え用に強化されたものが必要でした。

 まず最初に登場したのが、横軽対策車両と呼ばれる車両です。
 横軽は急坂のため、連結器、台車等に大きな負荷がかかります。そのため、この部分を強化した車両が登場しました。これが横軽対策車両です。 この車両のおかげで、横軽を7両または8両編成までで、峠を越えることが出来るようになりましたが、動力の制御ができないため、 列車側の動力は全てカットし、動力は補助機関車(EF63)に任せて、峠を登り降りしていました。
 この車両は、他の車両と区別できるように、車体横の形式記号・番号のところに目印が付けてあります。 横軽が無くなった今、この印は車両の塗装変更とともに消滅しつつあります。

横軽通過可能を示す●印。 同じ189系電車でも、横軽の廃止後、
塗装変更を受けると●印は消されてしまう・・・

 次に登場したのが、協調車輌と呼ばれる車両です。
 先の横軽対策車輌は、動力を全てEF63に任せていたため峠を登る力に限界があり、7両または8両までとなっていました。 ところが、それでは輸送力が足りなくなり、9両、10両と、編成を増やす必要が出てきました。
 そこで登場したのが、協調車輌です。この車両は、EF63からの制御により動力がコントロールできるようになり、 EF63と力を合わせて峠を登ることができるようになりました。そのため、12両編成まで、峠を越えることができるようになりました。 (もちろん、横軽対策も施されています。)
 協調車両には、189系、489系、169系の3形式があり、末尾に「9」が付けられています。 (この3形式以外の”末尾9”は例外)
 また、協調車両を除く車両は、先に書いたように、8輌編成までで、電車側の動力をカットして峠を越えます。


協調運転によりEF63からの制御で峠を登る協調車両189系「特急あさま」
(1997年9月29日、坂本付近)


横軽廃止後の車両たち
 横軽が廃止になった今、連結器等が強化された車両も、EF63と協調するための装置を搭載した車両も、それらの性能を発揮する場所がありません。 しかし、それらの性能は発揮できなくても、そのまま他の路線に使えるので、様々な場所に転用されています。

 中でも、特急「あさま」に使用されていた189系車両は、塗装変更すれば、そのまま中央本線の特急「あずさ」に使用することができます。
 今ではほぼ塗装変更も終わり、特急「あずさ」としてがんばっています。そして、特急「あさま」色の車両を見かける機会は、保存されている車両を除き、ほとんど無くなりました。
 しかし、横軽の廃止直後、特急「あさま」のボディーカラーのまま、中央本線の特急「あずさ」として走っていた時期がありました。 折しもこの当時、中央本線・特急「スーパーあずさ」が、大月駅で普通電車と大事故を起こした時期でした。 このため、「スーパーあずさ」用の車両が足りなくなり、やむを得ず、元特急「あさま」用の車両を、塗装変更前のまま使用したのではないでしょうか。 ファンにとっては、願ってもないサービスに思えたかもしれません。

あずさ4号 1997/11/??
撮影場所:中央本線 高尾〜西八王子 間
あずさ7号 1997/11/??
撮影場所:中央本線 高尾〜相模湖 間
あさま塗装のまま走ったあずさ号。
光線状態が良く無かったので、かなり黒い影が出来てしまったのが残念。
(リバーサルフィルムは露光が難しい〜。)
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